日々のこと

ただのらくがき

農的魂

 

‘‘母の実家は海辺にあって、半農半漁で生計を立てていた。
3歳ごろから幼稚園(一年間)に上がるまで私は母の実家に預けられていた。
雨の日以外は歩いて30分ぐらいのとことにある田畑やみかん山(ここはもっとと遠いのでトラックで移動)に毎日通った。祖父母と叔父夫婦が農作業をしてわたしは一人で遊んだ。一人と言う自由をわたしはここで覚えた。ラジオから流れる歌に合わせて歌ったり、野山に沢山ある材料でおいしいままごとをした。空想はどこまでも膨らんだ。出鱈目な歌もたくさん作った。もちろん残ってはいないけど。

 

高校を卒業して私は都会に出た。福岡や東京に。福岡はともかく東京にはなじめなかった。半年でギブアップ。東京人のクールさが肌に合わなかった。東京生活でたまった垢を選択するために短期で沖縄の与那国島にバイトに行った。民宿の住み込みを3カ月。その後は長野の山小屋でも働いた。結局、与那国島の民宿には計3回短期のバイトに行って三回目で一人目の主人と出会い結婚。農業をやっている人だったので日々農作業の手伝いをした。お腹が大きいときに土に種を蒔くのは苦しかったり、ハウスのきゅうり畑に入るときゅうりのトゲトゲでかゆくなった。

 

パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、島バナナも栽培していて果物好きの私にはパラダイスだった。かぼちゃが大豊作の時はそれをわたしがバナナプリンにして農協に卸した。みんなが喜んでくれたのでわたしも嬉しかった。中学校で栽培した紅芋が余っているからと紅芋をタダでもらい紅芋クッキーに焼いたこともあった。食堂のばあちゃが便秘に効くと言っていつも買ってくれた。

 

そんな農的生活も7年で終わり、私は島を出た。それから約十年種蒔くことはなかった。心が土と向き合えなかった。羊毛紡ぎをやったことがその元にある(羊は土に生える草を食べるので土に由来する)つちと私を再び結び付けてくれたのではないかと、今は思っている。プランターを2つ買い種を2袋買った。大根葉とラデッシュだ。今朝、水やりに行ったら大根葉が8つほど目を出そうとしていた。ほんの数10センチの菜園だが私の農的魂がゆらりゆらりと目を覚ました。最小限の道具をそろえ園芸用に古着のコートも買った。

 

プランターに水をやるたびに、目が育っていくたびにわたしの魂も芽生え葉をつけて陽を浴びながら実をつけるのだろう。