日々のこと

ただのらくがき

双極性障害のこと

双極性障害躁鬱病)になって早20年。

色んな事があった。支えてくれた家族はそれに辟易して離れていった。

4年前に鬱と睡眠障害を持つ男性と結婚した。結婚を前後して、「結婚」「引っ越し」というキーワードにひっかかかり病状は最悪の状態におちいった。幻覚幻聴まで出た。

1週間ほど逃亡生活。次第に病状は落ち着き婚約者の元へ戻り結婚。

 

その後も、気分が高揚するとすぐに「離婚」「離婚」と大騒ぎし、私の物言いにかっとなった旦那が離婚届の空白を埋め実際に一度離婚は成立した。離婚届の提出には双方の同意が必要ということを知らなかった私は、その離婚届を市役所の窓口に提出した。

 

そんな届け出は無効だと旦那は言い、提出された離婚届を撤回する裁判を起こすと言う。躁状態だった私は、裁判でも何でもやればいいと息巻いた。しかし日が経つと共に躁状態は落ち着いて裁判なんか面倒くさくなりもう一度離婚したばかりの人と婚姻した。コメディみたいだがこれが双極性障害なのだ。

 

周りも大変、本人も病気の症状に振り回されて大変。以前かかっていた医師は結婚前の旦那に「何があってもそれはこの方のせいではなく、全部病気のせいです」と言ってくれた。勝手に気分が高揚しすぎ、その反動で鬱になるのが双極性障害なのだ。自分では全くコントールできない。私の場合、躁へのきっかけはストレスだ。

 

最近も旦那に言われた言葉が強いストレスとなって躁になった。また離婚しようと思い物件を探した。メル友も作った。日記は書けなくなっていた。躁状態に陥ると体力を消耗するので今回は3日で疲れて平常に戻った。鬱にはならなかった。

 

このゆれる、大揺れする症状をなるべく緩やかにするために服薬をし、エネルギーを小出しにする行い(楽器の演奏、作詞作曲、文章を書くこと、カラオケなど)をすると私の場合は良いようだ。ライブコンサートや飲酒は良くないらしいのでやめた。とにかく毎日を平凡に暮らすのが一番の薬だ。平凡、平凡、平凡。これって案外たのしいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メル友やめました

12/11から3日間、旦那と冷戦状態になった。原因は子供のしつけの方針の違いだ。私の少し厳しいやり方を旦那は「いじめ」と言った。腹が立って仕方がないので、まともなしつけをしている旦那に子供の世話を全部してもらうことにした。私は喧嘩するといつもするように自分の部屋に籠城した。

 

その間暇だったので登録したまま放置していたメル友カフェというサイトにログインして遊んだ。色んな人とメッセージのやりとりをしたが、最終的に京都に住む女性一人にしぼった。私と同じく精神疾患を持つ人だ。京都水族館に一緒に行こうという話が出るほど盛り上がったが、旦那の「知らない人と水族館何か行って何がたのしいの?」の言葉で目が覚め、ただのメル友になった。

 

メル友になって2日目まだまだ話は続いていた。3日目、彼女のネガティブな言葉がちらほら。「嫌になったらメールやめていいですから」とか。私はネガティブな人が苦手だ、しかも彼女は人を試すような発言をする。これはだめだ。続けるとどんどんネガティブの穴に落ちていくパターンだ。私は最後のメールを彼女に送った。「パソコン(私はスマホは持っていない)の調子が悪いので今日修理に出します。しばらくメールできないけどごめんね。」

 

私にはメル友は必要ないのだ。私がしたいのはクリエイティブなことであって、だらだらとした暇つぶしではない。音楽をやったり、文章を書いたり、手芸をしたり。図書館から借りて来た本もまだ読めていないのに。魔がさしたとはこういうことだろう。メル友とメールしている時間はもっと別のものに使うべき時間だったのに。ああ損をした。もっと日々を、時間を大切に使わなくちゃいけない。

 

 

農的魂

 

‘‘母の実家は海辺にあって、半農半漁で生計を立てていた。
3歳ごろから幼稚園(一年間)に上がるまで私は母の実家に預けられていた。
雨の日以外は歩いて30分ぐらいのとことにある田畑やみかん山(ここはもっとと遠いのでトラックで移動)に毎日通った。祖父母と叔父夫婦が農作業をしてわたしは一人で遊んだ。一人と言う自由をわたしはここで覚えた。ラジオから流れる歌に合わせて歌ったり、野山に沢山ある材料でおいしいままごとをした。空想はどこまでも膨らんだ。出鱈目な歌もたくさん作った。もちろん残ってはいないけど。

 

高校を卒業して私は都会に出た。福岡や東京に。福岡はともかく東京にはなじめなかった。半年でギブアップ。東京人のクールさが肌に合わなかった。東京生活でたまった垢を選択するために短期で沖縄の与那国島にバイトに行った。民宿の住み込みを3カ月。その後は長野の山小屋でも働いた。結局、与那国島の民宿には計3回短期のバイトに行って三回目で一人目の主人と出会い結婚。農業をやっている人だったので日々農作業の手伝いをした。お腹が大きいときに土に種を蒔くのは苦しかったり、ハウスのきゅうり畑に入るときゅうりのトゲトゲでかゆくなった。

 

パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、島バナナも栽培していて果物好きの私にはパラダイスだった。かぼちゃが大豊作の時はそれをわたしがバナナプリンにして農協に卸した。みんなが喜んでくれたのでわたしも嬉しかった。中学校で栽培した紅芋が余っているからと紅芋をタダでもらい紅芋クッキーに焼いたこともあった。食堂のばあちゃが便秘に効くと言っていつも買ってくれた。

 

そんな農的生活も7年で終わり、私は島を出た。それから約十年種蒔くことはなかった。心が土と向き合えなかった。羊毛紡ぎをやったことがその元にある(羊は土に生える草を食べるので土に由来する)つちと私を再び結び付けてくれたのではないかと、今は思っている。プランターを2つ買い種を2袋買った。大根葉とラデッシュだ。今朝、水やりに行ったら大根葉が8つほど目を出そうとしていた。ほんの数10センチの菜園だが私の農的魂がゆらりゆらりと目を覚ました。最小限の道具をそろえ園芸用に古着のコートも買った。

 

プランターに水をやるたびに、目が育っていくたびにわたしの魂も芽生え葉をつけて陽を浴びながら実をつけるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

コロコロローラー(トリガーポイントのこと)二日目

今朝も起き抜けにコロコロローラーをやる。好転反応なのか昨日の夜からだるい。が、食欲は普通にある。朝起きたら夜食を食べたにも関わらず1キロ減。これはコロコロローラー効果かどうかはまだわからないけど。やりすぎるのも良くないというので、一か所につき2~3分にしている。これもコロコロローラーの効果かはわからないけど右膝のひどい痛みが半減している。お値段は3000円弱。いい買い物をした。

しょっぱいのが梅干し

旦那さんが胃腸の病気になって弱っていた時、「お腹の病気には梅干しだ!」とスーパーにしょっぱい梅干しを買いに走りました。でも、梅干しコーナーにあるのは甘く味付けしたものと添加物がどっちゃりなものばっかり。それではコープでは!とそれっぽいものを注文。食べてみると不味い!これは薬になる梅干しではない!考えて、私の地元で自然料理を出している男がいることを思い出した。早速問い合わせ。あった!塩だけで漬けた本物の梅干しが!きっぷのいいこの男は何とタダで梅干しを送ってくれた。救いの神だ。

 

実家ではばあちゃんがたんまり漬ける梅干しを分けてもらっていたから、しょっぱい梅干しに不自由したことは無かった。ネットで調べてみるとしょっぱい梅干しは結構高価だ。それで今年から梅干しを漬けることにした。まずは3kg漬けてみた。漬けてみると梅干しは簡単だった。土用干しという三日連続晴れの日に塩が上がった梅を干すという工程に時間が合わせられる人には。

 

私はいつも家に居るのでこれは簡単なことだった。赤紫蘇も漬けて赤いおいしそうな梅干しに仕上がった。でも一つだけ失敗があった。それは完全に熟していない梅を旦那が急かすので漬けてしまったことだ。そうした梅干しは食べられるけど固いのだ。旦那と反省して、来年は倍の6kg漬けようと言った。

 

減塩ブームのあおりからか、梅干しはしょっぱくなくなっているご時世だ。そんなしょっぱくない梅干しにも薬効はあるのだろうか?

いたきもちいい~!

トリガーポイントのミニサイズのを買った。早速やってみた。

首から足裏まで一通りやってみたが、背中と腰と腿の前側が一番効いた。

腰は以前からマッサージの時に悪いと言われていたので、痛くて当然だろう。

背中は低いテーブルで書き物をしたり、編み物をしたりしているせいだろう。

腿は膝が悪いから?

 

いたきもちいい~!と悶えながらもスッキリしたのでした。

明日もやろう。